採蜜

 

2週間(うち実作業8日)に渡って行った採蜜が終わりました。

 

採蜜の2日前の、5月25日(木)に道具の一部を運びました。

蜂場では蜂たちが活発に働いています。(この時期の半月ほど、山の木々の花がたくさんの蜜を出すのです)

5月27日(土)、採蜜初日です。これらの荷物は毎回、自宅から蜂場へと持ち運ぶことになります。

準備ができました。遠心分離器は大きくて重いし、使用する道具もいろいろあって準備や片付けもなかなか大変です。

蜂場から見た風景を・・・

望遠で写すと・・・たくさんの蜂が飛び交っています。

採蜜の作業は・・・

① 巣箱から蜜の貯まった巣枠を取り出す。(8~9枚の巣枠を取り出します)

② 取り出した巣枠を巣箱の中で揺すって、巣枠の両面を覆っているたくさんの蜂たちをぶんぶんと振るい落とす。

③ それでもまだ巣枠にいっぱい残っている蜂たちをハケで、どさっ、どさっ、と、払い落とす。

④ 巣枠(8~9枚)を一輪車に乗せて運ぶ。

⑤ 巣枠に掛けられた蜜蓋(みつぶた)を、熱湯で熱した包丁でそぎ落とす。(蜜が貯まるとミツバチは体から分泌される蝋で蓋をするので、それを取り除くのです)

⑥ 遠心分離器を回して採蜜をする。

⑦ 巣枠を一輪車に乗せて運ぶ。

⑧ 巣枠を巣箱にもどす。

・・・という工程を繰り返すのですが、ひとつの巣箱に2人でおよそ30分の時間が必要なのです。

採蜜2日目。まだまだ先は長い。今日もがんばらなくては・・・

・・・3月半ばに、前日まで蜂の仕事をしていた89歳の義父が入院し、そのまま4月1日に逝ってしまいました。

そのために、今回は私たち夫婦での初めての採蜜になったのです。


仕事のあとに(5月の夕暮れ)

田圃に水を溜めてトラクターで代掻きをしました。

正午過ぎには終えることができて、午後からの雨に濡れることはありませんでした。

夕食の前に外に出てみると、雨上がりの空が田圃の水に映っていました。


加茂神社祭(矢上 諏訪神社にて)

毎年4月25日は、諏訪神社で行われる加茂神社のお祭りです。

なぜ諏訪神社で加茂神社のお祭りが行われるのかというと、時代を遡ること明治の時代、神社合祀令という「お宮は村や町の一箇所にまとめなさい」との時の政府の命令で、ここ矢上地域(当時は矢上村)においても、村の上流域にあった加茂神社が村の中ほどにある諏訪神社の境内に移され、それから諏訪神社で加茂神社のお祭りが行われるようになったのです。

島根県指定の天然記念物、諏訪神社参道 杉並木です。昭和44年に21株が天然記念物として指定されたのですが、10年ぐらい前にそのうちの2本が強風で倒れて、さらに数年前には立ち枯れのためか1本が切り倒されています。

私が子供のころには、参道やその先の商店街にまで屋台が連なって賑やかなものでしたが、今では参拝者さえもまばらな状況です。

あの頃は職場も学校も、お祭りの日は午後からお休みだったように記憶しています。

今回は矢上地区の5自治会で順番に廻ってくる当番期だったので、お神輿を担ぐ役目としてお宮に行ったのですが、降雨の心配があって急遽、お神輿は中止となりました。

地元のお祭りとは言え、ほとんどの人が役割が廻ってこないとお宮に行くこともない時代になってしまいました。

そのことの良し悪しをここで言うつもりはないのですが、前日のお宮でのお祭りの準備(境内の清掃や幟などの飾りつけ)を当番として携わり、お祭りの場として飾られていくお宮の様子がとても印象的だったので、当日の今日、写真を撮ってブログにしてみようと思ったのです。


2017春 邑智郡バスケットボール大会

例年よりも早い時期に、郡のバスケットボール大会が行われました。

手前のコートで練習をしているのは地元、矢上高校バスケットボール部の1~2年生で、向こうのコートでは隣町の社会人チームが練習をしています。

参加チームは次のとおりです・・・

Aブロック

矢上中年隊 : 我々のチーム

矢上クラブ : 地元の若い人たちのチーム

High Fives : 隣町の社会人チーム

Bブロック

矢上高校 : 矢上高校バスケットボール部

仁多米マジック : 矢上高校の卒業生(3年生)チーム

渡邊慎平 : 地元、石見中学校の3年生チーム

結果は、仁多米マジック(矢上高校の卒業生チーム)の優勝でした。

この春に地元から旅立っていく若者たちです。


そうじゃ吉備路マラソン

夕方に岡山市に到着し駅前の宿にチェックインして、夕食のためのお店を求めて歩いていたらこんな建物を見つけました。

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なかなかインパクトのある名前です。

(夕食では生ビールと焼酎の湯割りと熱燗の日本酒をそれぞれ適量いただきました)

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さて翌朝です。

6時37分岡山発の伯備線に乗って7時5分には総社に到着したのですが、列車はランナーで満員で、駅のホームの階段でもこんな行列がしばらく続いていました。

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駅から20分近く歩いて大会会場に着きました。

(このときには、数時間後にここを走ってフィニッシュに向かう自分の姿を、もちろんまだ想像してはいなかったのです)

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3年ぶり4回目のフルマラソンの大会です。

さて、無事に走り終えることができるのでしょうか。(どきどき)

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観光案内板です。

フルマラソンは、この図のなかをぐるぐると走り回るという感じのコースで、田園風景のなかに大きな古墳や五重塔が見えたり、史跡公園のようなところも走ったりと変化に富んでいて、私は大変に気に入りました。

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とにかく参加者が多い大会でした。(この写真以降は女房撮影)

フルマラソン3000人、ハーフマラソン4300人、10km3700人、5km2700人、3km2100人、ファミリー4700人・・・

フルマラソンとハーフマラソンは同時にスタートして走るのでコースが分かれる10km過ぎまでは混雑していましたし、5kmに参加した女房はスタートからフィニッシュまでずっとランナーが一杯で抜こうにも抜けないような状態だったそうです。

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私のタイムは4時間30分でした。

20km辺りから減速し始めて、30kmを超えるころから脚が悲鳴を上げ始め、何度も立ち止まっては走ることを繰り返しながら、なんとか大会会場に辿り着きました。(大会会場までの長い直線の道路の遠かったことと言ったら!)

最後の10kmは4年前の初めてのフルマラソンだった奈良マラソンを思い出すようなランになってしまいましたが、ビーチサンダルで走っていたので何人ものランナーや沿道で応援する人たちから声を掛けてもらったりして、辛いなかにも楽しく走ることができました。

(顔を見ることはできなかったけど、岡山県で働いている息子もハーフマラソンを走り、家族で同じ大会を経験できたのも良いことでした)

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(私と同県の緑レンジャーさんも参加していました。追い抜かれながらお話できました)

ちょっと許容量を超えているのではないかと思うぐらいのたくさんの人で混雑していて、運営方法などにもいろいろと突っ込みを入れたいところもあるような大会だったのですが、それでも来年もまた走りに来たくなるような魅力も同時に合わせ持っているというのは、あんなに辛い思いをして走ったのに、やっぱりフルマラソンって魅力的だなあ、また走りたいなあと感じることと共通する何かがあるのだろうかなどと考えたりもした、久しぶりのフルマラソンの大会でした。

なにはともあれ、大会スタッフの皆様お疲れさまでした。良い大会でした。大変にお世話になりました。

最後に・・・

「全国6位の規模となり身が引き締まる思いです」

(大会会長である総社市長の大会プログラムのあいさつ文より)


この世界の片隅に

広島市へ行きました。

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まず訪れたのは広島市映像文化ライブラリーで開催されている、2016年キネマ旬報日本映画ベスト・ワンなど数々の賞を受賞した映画「この世界の片隅に」(監督:片渕須直)のパネル展です。

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原作(同名タイトル、著者:こうの史代)のマンガをアニメーション映画にするまでの制作過程がパネルで紹介されていました。(映画の公式サイトでも制作過程を見ることができます

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次に立ち寄ったのは、旧日本銀行広島支店です。

広島で一番の繁華街である本通商店街のすぐ近くにあって、いつも何かの企画展などを(無料で)やっているので最近は時間があればいつもここに立ち寄っているのです。

(爆心地から380メートル。大きな被害を受けながらも当時の姿を保っています。ここは原作や映画には出てなかったと思います)

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さあ、到着しました。今回の主目的地であるサロンシネマです。

もう30年も前の若いころには何度もこのサロンシネマで映画を観たものです。(当時は今の場所ではなく、鷹野橋というところにありました)

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去年11月に続いて2回目の「この世界の片隅に」を観たいところではあったのですが、今回は女房のたっての希望もあって「沈黙―サイレンス―」なのでした。

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昔のサロンシネマもそうだったけど、今の映画館もなかなかしゃれています。

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「この世界の片隅に」の方は、平日にも関わらず午前も午後も満席かそれに近い状況のようでした。(やっぱり気になるので劇場スタッフに聞いちゃうんですよね。「入りはどうですか?」って)

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さて、これはサロンシネマのはす向かいにある福屋百貨店です。(爆心地から710メートル。これも現存する被爆建物のひとつです)

映画では、結婚してから初めて広島市に里帰りした主人公のすずさんが市内の何箇所かの風景をスケッチする場面があるのですが、そのひとつがこの建物だったようです。

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まだ時間があったので平和公園へと向かったのですが、その途中で袋町小学校平和資料館にも入ってみました。こちらも本通商店街のすぐ近くにあります。

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被爆により外郭だけになったこの校舎は、その数日後には被爆者の避難・救護場所として使われ、そしてそれからも補修して校舎として使われていたのですが、平成14年の新校舎建築の際にその校舎の一部分を残して平和資料館としたのだそうです。

(資料館整備のために漆喰を剥いだところ、当時の人々が壁にチョークで書いたいくつもの伝言が見つかり、それを撮影したものが発見された場所にそのままの姿で掲示されています)

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平和公園に着きました。公園内にあるレストハウスです。これも現存する被爆建物です。

戦前は大正屋呉服店で、戦中は燃料会館だったようです。

映画の冒頭でもたくさんの人々が行き来する街並みの風景としてこの建物が描かれています。

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平和公園から見た原爆ドーム(産業奨励館)と相生橋です。

橋の上にはすずさんとその夫の周作さんがいるかもしれません。

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川の右側が平和公園です。

原爆投下のその直前までは、そこは中島本町という街だったのです。


大元神社 奉納谷舞

《2016年11月26日(土)~27日(日)島根県邑智郡邑南町日貫 大元神社にて》

日貫(ひぬい)地区の谷舞(たにまい)は2回目だったのですが、前回と今回とでは場所が違うのです。

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人口500人(約200世帯)ばかりのこの日貫地区には、谷々の集落に神楽社中(神楽団)が5つもあります。

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その5つの社中のうち、現在でも専用の建物としての舞殿(神楽殿)をもつのが、前回25年前に行った春日神楽団と、今回の吉原大元神楽団の2社中なのです。

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大元神楽は、式年祭と言ってそれぞれの地域の社中が4年に1度とか6年に1度とか決まった間隔で行うものなのですが、ここ日貫地区では4年に1度、地区の氏神様のお宮で5社中が共同して行う式年祭の神楽とは別に、各社中がその社中の集落において単独で行う神楽を谷舞と言うのです。(その谷舞は不定期に行われるもののようで、今回の吉原での谷舞は6年ぶりだったようです)

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神楽が始まったのは午後9時でした。御花をもって帳場に行ったら御酒と御寿司などをいただきました。

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25年前に行った春日集落の谷舞もそうだったのですが、谷舞には独特の雰囲気があります。舞台と客席が渾然一体になって動いている、と言ったらよいのでしょうか。

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翌日の早朝から集落の行事があったので3時間ほどしか居られなかったのですが、「まあ飲みんさい。(料理を)つまんじゃんさい」と次々と勧められる集落の方々の振る舞い酒とご馳走をしっかり頂いてこの舞殿を後にしたのでした。

 

(プログラムによると、四方堅、潮祓、太鼓口、磐戸、八幡、天神、剣舞、神武、御座、塵輪、鈴合、鐘馗、五龍王の13演目が舞われたようです)